2017年1月6日金曜日

もし日本の文学作品の中から、100回読むに値するものを選ぶとしたら

去年、ガーディアン(イギリスの大手一般新聞)で、作家のステファン・マルシェ氏が「Centireading」(百回読み)という言葉を作って、同じ文学作品を100回読む事の功罪について話していた。これを読んで私は考えた。もし日本の文学作品の中から、100回読むに値するものを選ぶとしたら、何を選ぶだろうか?

2,3回読み直してみたい作品ならたくさんある。たとえば「平家物語」や、谷崎潤一郎の「細雪」とか、江戸川乱歩の作品などが頭に浮かぶが、100回、となると….. 5回読むのでさえ、「源氏物語」のような大長編や、現代の小説はお断りである。

それなら答えは一つしかないと思った。夏目漱石が1906年に書いた、「坊っちゃん」である。「坊っちゃん」なら、100回読んでも絶対飽きないと、断言できる。実際、毎回、きっと何か新しいことを得ることができると思う。その理由を説明しよう。

まず最初に、何といっても読みやすい。100回も読むなら、読み進むのに難しすぎるものや、長ったらしくて、校正が必要なようなものは御免こうむりたい。一つ一つの言葉に意味があり、やめられない面白さがあるものが必要だ。「坊っちゃん」なら、最初の文から興味を引かれ、最後までわくわくしどうしで、読み終わったとたんにまた最初から読みたくなる。何度でも、何度でも。

「坊っちゃん」がこんな風なのは、それが書かれたいきさつにもよるだろう。漱石はこの小説を、教師を3校掛け持ちしていて、帰ってきたら4人の小さい子供が待っている生活の中で、暇を見つけては、2週間足らずで書き上げたのだった。その翌年には、教師をやめて、朝日新聞のための専属作家となった。しかしこの1906年に書かれた傑作は、まるで止めることのできない火山の噴火のように、彼の中から湧き出たのであった。

二つ目の理由は、「坊っちゃん」は、ウディ・アレン氏の言葉を借りるなら、「フルコース」のディナーであるということだ。100回も本を読むなら、どのジャンルの本がいいか?コメディ、諷刺もの、それとも自叙伝、それともエレジー?「坊っちゃん」は、このようなすべてのジャンルの要素を組み合わせたものと言えるだろう。

この作品は、日本文学の中で一番面白いコメディだと思われているだろう。実際、坊っちゃんが地方の方言で苦労するとか、それに対して自身の東京人のべらんめえ口調で応答するとか、あるいは生徒がいたずらで布団の中に入れたイナゴと格闘するとか、大声で笑えるようなシーンがたくさんある。

しかしながら、「坊っちゃん」の中には悲劇的な要素も多々あるということに、たいていの人は気づかない。母親のような、年を取った女中で、東京に置いてきた清に対する慕情が、その中心である。小説の最後で、坊っちゃんはアイデンティティの危機に陥り、彼の無鉄砲で自由奔放であった短い時期は終わりを遂げるのである。

しかし「坊っちゃん」はこれだけではない。それは、明治維新の後起きた、将軍側についた者たちと、旧体制を打ち破った者たちとの間の不和を諷刺したものである。そして、坊っちゃんが赴任した中学校の教師たちにつけたあだ名も、東京帝国大学での、漱石自身の傲慢な同僚たちを諷刺するためのものだった。

松山と近くの道後温泉は、漱石が若い時に1895年から96年にかけて教師として教えていた場所で、この小説の舞台だと考えられていて、今日まで旅行者が絶えない。しかし、漱石の自叙伝のもっと違った部分も、この小説のところどころにさりげなく織り込まれている、ということに気づく人はあまり多くはない。たとえば、坊ちゃんが遠い東京にいる清をなつかしむ様子は、実は漱石が1900年~1902年にかけてイギリスにいた時、日本にいる彼の妻、きよ、に会いたくて仕方がなかったという経験をしたことの反映である。

そして三つ目の理由は、際限のなさだ。もし同じ本を100回読むとしたら、その本は、読みやすく、「フルコース」であるだけでなく、ほんのちょっとした事が実は深い意味を暗示していて、何度読み返しても際限なく新しい洞察を提供してくれるものでなければならない。たとえば、坊っちゃんが子供の時、その栗の実が「命より大事だ」ような栗の木の意味は何か、とか、どうして宿敵、赤シャツは、いつも赤いシャツを着ているのか、とか、坊っちゃんとその仲間の山嵐が赤シャツに最後に挑む時、「天誅党」と銘打ったのがなぜそんなに皮肉なのか?など、など。

「坊っちゃん」は、結局、現代の世界そのものの話だと言えるだろう。坊っちゃんは、誇りある士族の子孫で、田舎者を侮蔑しているが、東京と田舎との間で近代化に差があるのは、日本が近代化し、西洋化しようとしている過程の産物そのものであると言う事に気づいていない。「坊っちゃん」は、普遍的な状況を語っているのだ。我々は、我々の洗練さと近代性を誇りに思うが、結局はもっと寛容で、優しかった、古き良き時代のイメージを拭い去れないのだと。

本当に、私が無理なく100回読み返せる本は、「坊ちゃん」しかないと思う。まだ読んだことがないとしたら、少なくとも一度だけでも、読んでいただけるようにお願いしたいものだ。



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